観光案内 > 音楽寺

5.音楽寺

 「琴聲山音楽寺」は、円空仏で有名な十二神将像がある西山浄土宗の寺で村久野町にあります。
 この音楽寺は市内最古の寺で、前身は大乗院といい、壬申の乱(672年)の功労者であった村国男依(ムラクニノオヨリ)にかかわりがあり、元暦元年(1184年)に源詠法師が開基したと伝えられています。古刹と呼ぶにふさわしく、寺域内からは奈良時代末期から平安初期にかけての布目瓦などが出土しています。平成4年には薬師堂や観音堂の再建に伴い、本格的な発掘調査が行われ、数多くの軒丸瓦、風招などが出土しました。
 これらは「村国の郷歴史資料館」にて見ることができます。(拝観料300円)(注)
 境内では、枯れかけていたクスノキから作られた高さ役3メートルの護法神像が、参拝客をやさしいほほえみで出迎え、静かに境内を見守っており、地元の方たちが丹精込めて育てた33種類約1200株のアジサイが栽培されています。梅雨に咲くその艶やかな姿は、訪れる人々の心を和ませる一服の清涼剤となっています。本堂東側の庭園には、朝咲いて夕方には散ってしまうという特徴をもつ「沙羅の木」が5本あり、こちらも同時期に見頃となります。


 十二神将は、薬師教を信奉する者を守る十二の夜叉神で、薬師如来の眷族であるとされ、また、その化身であるという。十二神将に十二支を配することが行われ、十二神将の頭上に十二支獣をいただいた形式のものもあり、また各々が十二支獣に乗った形式のものもあります。そして十二神将は、昼夜十二時、四季十二か月にわたり、不断に衆生を守ると信じられていました。日本では、薬師如来の信仰が早くから行われ、それに伴って十二神将も作られました。なお、この十二神将のうち「戌伐折羅神将」を欠いています。(市指定文化財)

 「荒神像」は巨大な目と口を持ち、角張った木塊に彫られた奇怪な風貌で、仏法僧を守る神にふさわしく泰然とした態度をしています。(市指定文化財)
音楽寺境内にある「村国の郷歴史資料館」にて拝観が可能。(拝観料300円)(注)

(注)藤まつり期間中(毎年4月下旬から5月上旬)の土・日・祝とあじさい祭り期間中(毎年6月上旬から下旬)に開館しています。(入館料300円 15名以上の団体は250円)それ以外の時期に見学をご希望される方は、事前に下記問い合わせ先にご連絡ください。
江南市教育委員会(生涯学習課 文化交流グループ)TEL 0587-54-1111 内線397


 琴聲山音楽寺は西山浄土宗にぞくし、日輪山曼陀羅寺(後醍醐天皇直願寺)の末寺である。寺の前身は大乗院といい、壬申の乱白鳳元年(672)の功労者、村国連男依にかかわりがあるといわれている。元暦元年(1184)天台宗の寺として、源詠法師が開基(尾張荘地鈔)その後元応元年(1319)琴聲山音楽寺と改称したと伝えられる。大乗院の規模は七堂伽藍、数多くの塔中をもつ大寺院であった。(大竹康詮家文書)この由来は、境内や近くの畑の地価1mほどの深さから、奈良時代の布目瓦、平安時代の細弁十二葉蓮華文軒丸瓦、須恵器などが出土していること、さらに平成四年市教育委員会による発掘調査で、素縁単弁八葉蓮華文軒丸瓦、?仏、鉄釘、筒瓦の出土や塔の基壇、風招(伝説の金のハト)などの出土で裏付けられる。その後、古記録によると度重なる葛西で灰燼に帰し、寺は荒廃した。時がたち元禄2年(1689)に映誉和尚を迎え、本尊薬師堂、庫裏御堂などを再建し、寺を再興した。江戸末期から明治の初めまで寺子屋や村の行政の中心地でもあった。明治二十四年(1891)濃尾大震災により崩壊したので大修理を施し、その後大正六年(1917)京都市揚谷寺御分身、十一面千手千眼観世音菩薩を授し、柳谷観音堂を勧請した。戦後昭和20年(1945)になり本尊薬師堂に奉祀された薬師如来像明応八年(1499)と円空上人延宝四年(1676)の傑作、鉈彫りの仏像十六体が市の文化財に指定された。かくして平成を向エ、老朽化した庫裏御堂の新築を機に、本尊薬師堂の瓦葺き替え及び寺域の整備などをすべて完了したので、これを記念して由来碑を建立する。
平成六年(1994)三月吉日

戻る

Copyright© 2010 江南市観光協会 All Rights Reserved.