観光案内 > 蜂須賀家屋敷跡

8.蜂須賀家屋敷跡
 蜂須賀家屋敷跡は、宮後八幡社の北西にあったと伝えられています。
 その屋敷は県道から南へ伸びた広い屋敷で、周囲に土居や濠をめぐらした跡がうかがえ、当時、屋敷の人たちが使った古井戸も石碑付近にありました。昭和43年、県道一宮犬山線が斜めに屋敷跡を通ったため、屋敷は分断され古井戸も埋められてしまいました。
 この屋敷を顕彰するためにと地元の有志によって、県道の北側に「蜂須賀家政公誕生の地」という石碑が建てられました。屋敷跡の伝承については、尾張国知名考宮後村の項に「この村に蜂須賀小六の屋敷跡あり。今は民の屋敷なり。」と、また前野文書が伝える宮後昔話には、  

「海東(海部)郡蜂須賀(美和町)村の小六正勝、信長と事有り、蜂須賀村を逃る。丹羽郡宮後村(江南市宮後町)安井弥兵衛尉の城に住す。弥兵衛の城は宮後村郷東古川筋に今なお存せり。東西60間、南北80間位、濠を巡らし、また、その外構は土塁にて高し。この城乾(北西)の角高く、土岐氏尾張御被進の要地にして、古川筋は沼沢有りて・・・東は内津道を経て東美濃は土岐氏本拠なり。安井氏は天正のころまで、住せしより、里人は語れり・・・・・・・・・・・・・」

とあります。
 古文書にあるように、宮後城は守護土岐氏の配下である安井氏が長く居住したものです。蜂須賀小六正勝の父、正利の妻はこの安井氏の娘で、小六は母の在所にいたわけです。

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