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11.観音寺

 今から400年前の戦国時代に活躍した江南の武将・前野将右衛門長康の菩提所が「観音寺」です。
 寺の由来は、吉田家の先祖のことを書いた古文書「武功夜話」に「前野村観音寺由来の事、文録4年(1595)未九月前野清助義詮、常円と改む。一心発起沙弥(出家)と相なる。為に仏菩提一庵を建立す。開山は丹羽郡余野村龍福庵、本系徳林寺海浦和尚 これを開山」と書かれています。
 前野将右衛門長康は、但馬守として出石城主(現兵庫県出石町)に出世し、また、関白の後見役となりました。後に秀次事件に連座するところとなり、秀次切腹の後、責任をとり甥の野田清助に介錯を頼み自決します。
 清助は、悲しみのうちに長康の辞世の句と遺品の野釜を持って前野村へ帰りました。清助は出家して常円となり、長康を弔うために草庵を営んだのが観音寺の始まりといわれています(清助のころは弘法堂といいました)。
 寛延元年(1748)7月、徳林寺第三世継山全初和尚が、本尊は三面八臂座像観世音であることを京都の臨済宗妙心寺に届けました。弘法堂から観音堂に改めました。このころは草庵であったので、徳林寺第八世祖蘭和尚がこれを深く憂いて再建に尽し、明治15年10月9日公称公許されました。
本尊は三面八臂座像観世音でしたが平成元年詳しい調査の結果不空羂索観世音菩薩とわかりました。この本尊は、作者・製作年ともにはっきりしていませんが、寛政元年(1789)7月朔日に修理した記録が残っています。こうした観世音は奈良の東大寺の法華堂や興福寺の南円堂などにあり、江南市内ではこの寺のみです。

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