観光案内 > 富士塚の碑

18.富士塚の碑
 「富士塚」は小折の南山と荒門の中間にある県道小口岩倉線の東側にあり、周囲は畑地で近くまで住宅が建っています。この塚は、富士古墳といい、5世紀末の豪族のものといわれ、曽本町の二子山古墳と同時代のものと推察されています。現在は長さ30m、高さ6.5mで、原形をとどめていません。
 この地の生駒屋敷は、織田信長の二男の生れた地で、織田方の拠点でした。ここは、攻撃に備えて城郭としての機能を持つ小折城になっていました。織田信長が本能寺で自刃した2年後、天正12年(1584)小牧長久手の戦いが起こり、その時生駒四代当主家長は織田信雄の命を受けて、伊勢の長島城へ出兵し、小折城をはじめこの付近の守りを嫡子利豊に任せました。しかし、利豊は幼く庶兄生駒右近が小勢で守っていました。徳川家康はこれを心配して、織田信雄と共に生駒屋敷(小折城)を訪れ、この塚に登って犬山方面の敵陣(秀吉)を視察した場所です。ここからは四方が展望でき、この合戦の戦略を立てたと伝えられています。
 後になって、このゆかりの地に生駒六代当主の利勝は、初代家広からの由緒と武勲を後世に伝えるため、六角の石碑に碑文を刻み、亀型の台石上に建てました。それ以後「富士塚の碑」といって有名になり、昭和50年3月に江南市の文化財に指定されました。

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