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22.生駒屋敷跡

 生駒屋敷は小折にあることから「小折城」とも呼ばれ、織田信雄が尾張藩主となると、今までの屋敷を外敵から守る機能を持つ城に造り替えました。それは、「張州府志」に「尾張藩主織田信雄は小折城中で生れる。今その地を西の丸という。その後、小折城を修築し、うちに楼高を立て、・・・・。その遺跡の所在これあり」といっていることによってもわかります。 天正12年(1584)小牧長久手の戦いの折、東軍の徳川家康が小折城の守りの手薄を憂いて訪れたのは有名です。
 利豊以後、生駒氏は名古屋の城下に屋敷を持ったため、ここは元の宅地となり、小折城跡は別邸になって年貢の取り立てや民治の館になってしまいました。小折城を表わす資料は、江戸時代の絵図と明治初年の地籍図のみです。地籍は約5ヘクタールで南神明裏入口、東裏門口、西八龍出口、北桜門出口の四つ門があり、柳街道に沿った城下町が屋敷の東側と南側に発達していました。
 明治維新のとき田畑や宅地となりましたが、現在では、塀に細長く囲まれた2ヘクタールほどの屋敷跡の一部に布袋東保育園が建てられています。

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